”人智を超えた何か”の存在
スピリチュアリズムの霊的真理を知った現在、つくづく思うのは「もしもスピリチュアリズムに導かれていなったら、今頃どのような人生を歩んでいただろうか」ということです。
以前にも述べましたが、私は既存宗教や新興宗教を問わず宗教全般に不信感を抱いていました。
特に新興宗教が巨大な建造物を誇り、”教祖”や”再臨のメシア”と称する人物が信者に寄付を強要するありさまを見て、「宗教というものは悪徳商法と瓜二つで、生涯かかわりを持つものではない」と思っていました。
しかし一方では、”人智を超えた何か”・・・アインシュタインの主張した「摂理の神」、村上和雄氏が名付けた「サムシンググレート」のような・・・は、宗教に関係なく存在すると確信していました。
読書が趣味であった私は、会社で中堅社員となった頃から”人智を超えた何か”の証明を求めて宗教書や哲学書も購入するようになりました。
私は土木分野の一技術者に過ぎませんが、それでも論文発表や各種報告書の作成を通じてある程度の思考訓練は積んできたつもりです。
ところが、それらの書籍の内容・・・難解な論理展開や専門用語の羅列・・・には私の理解が追い付かず、もっぱら宗教を批判したり、宗教の暗部を暴いているような書籍ばかりを読むようになりました。
そして”人智を超えた何か”の存在を忘れかけていた頃にスピリチュアリズムとの出会いがあり、その真実の姿を知ることになりました。
スピリチュアリズムに導かれた幸せと決意
スピリチュアリズムとの出会いを機に、大阪スピリチュアリズム・サークル「シルバーバーチ読書会」に参加し、霊的真理の学習を続けることで、”真のスピリチュアリズム”に関する理解が徐々に深まってゆきました。
もちろん、スピリチュアリズムに導かれたからといっても、全ての悩みや苦しみから解放されたわけではありません。
霊性も個性も異なる人間が生活をしている地上では、好ましくない出来事は必ず発生するようになっています。 また、肉体を持って生活している以上、私自身も良からぬ衝動・・肉主霊従・・に駆られることも少なくありません。
それらを体験し、霊的真理に照らして乗り越えることで、少しづつ霊的成長を達成してゆくことになります。
地上人生の目的は「霊的成長」の一言に尽きます。 「霊的成長」を実現する人生が”価値のある人生”であり、そのための”訓練場所”が、この地上社会です。
スピリチュアリズムとの出会いがなければ、霊的成長が厳しい内面の闘いを通して達成されることも、物質的な富は霊的成長に何ら寄与しないということも認識できていなかったと思います。
そして、「寿命が尽きて死ぬことは避けられないが、それまでの地上人生を家族や友人たちと楽しく有意義・・ここでいう有意義とは物質的富の追求に他なりませんが・・・に過ごすことが何よりも大切である。」と考えて、価値のない人生を送っていたに違いありません。
今、「スピリチュアリズムに導かれて良かったことは何か?」と問われれば、胸を張って答えることができます。
・真実の神について知ることができたこと
・霊界の存在をはっきりと認識できたこと
・イエスの再臨に立ち会えたこと
・シルバーバーチの霊訓では明らかにされていなかった事実も、イエスから伝えられたこと
イエスからメッセージが伝えられるたびに、臨席している全員が言葉にならない程の大きな感動に包まれます。 そして「自分たちも頑張らねば!」と身が引き締まる思いで拝聴しています。
物的証拠や具体的な映像でそのことが示されない限りは到底信じることができない、というのが大部分の地上人の反応であることは理解しています。
また、政界を巻き込んでの宗教問題が種々あぶり出された現在、宗教という言葉に拒否反応を示す人も少なくありません。 スピリチュアリズムに関しても、マスコミを通じて興味本位の誤った情報が拡散された影響で否定的なイメージが定着しています。
そのため、”イエスが主導する真のスピリチュアリズム”といえども、スピリチュアル系の新興宗教と思われても仕方ありません。
しかし、たとえ世間からどのように思われようとも、常にイエスと共にあることを忘れることなく、いかなる有事の際にも、霊的視点からそれを受け止め、スピリチュアリストとしての責務を果たしてゆくことを読書会に集うメンバー全員が決意しています。