このブログについて
私はもともと無神論者に近い立場で、神の存在も死後の世界も信じていませんでした。
先祖の祟りや先祖供養といった話に対しても、強い懐疑心を抱いていました。自称霊能者が「あなたには何代も前の先祖の霊が憑いている。このままでは大変なことになる」などと語るのを聞くたびに、胡散臭さ以上に、まず理屈の合わなさが気になったのです。
というのも、先祖の数は世代をさかのぼるごとに二倍ずつ増えていくからです。一代前は両親の二人、二代前は祖父母の四人、五代前で三十二人、八代前で二百五十六人、十代前にもなれば千人を超えます。しかも、その先祖たちの子孫は自分一人に限られず、兄弟姉妹や叔父叔母、いとこたちへと枝分かれしていきます。そう考えると、何代も前の先祖の霊が、無数にいる子孫の中から自分だけを選んで取り憑くという話は、どうにも出来すぎているように思えました。
新興宗教に対する見方も、きわめて冷ややかなものでした。周囲の風景に溶け込まず、まるで自らの権威を誇示するかのようにそびえ立つ、豪奢で巨大な建造物を見るたびに、敬意よりも先に幻滅を覚えました。無神論者に近い立場の自分でさえ、信仰とは本来、外側を飾ることではなく、もっと内面に関わるものであるはずだ。そんな思いが、常に私の中にありました。
とはいえ、何もかもを頭から否定していたわけではありません。たとえば真言密教の六大思想には、宗教的教義としてというより、世界の成り立ちを語る思索として、どこか共感できるものがありました。自分なりに筋が通っていると思える思想には、素直に心を動かされることもあったのです。
そんな私が、スピリチュアリズム普及会のホームページに出会ったのは、平成18年(2006年)の春頃でした。当時はまだ「心の道場」と呼ばれていたそのサイトを、最初は興味本位で読み進めていたにすぎません。ところが、そこに書かれていた内容は、それまでの私の考えを大きく揺さぶりました。そして私はそこで初めて、『シルバーバーチの霊訓』を知ることになったのです。
その出会いを契機として、私は次第にスピリチュアリズム普及会へとつながっていきました。さらに2021年、イエスの再臨に証人として立ち会う機会を得て、その歩みはいっそう確かなものとなりました。
そして今、私は大阪スピリチュアリズム・サークル「シルバーバーチ読書会」傘下の高松シルバーバーチ読書会を主宰しています。かつて神も死後の世界も信じていなかった自分が、このような役割を担うようになるとは、当時は想像もしていませんでした。振り返ってみれば、あのときホームページに出会い、『シルバーバーチの霊訓』に触れたことが、私の人生の大きな転機であったことは間違いありません。
完璧な答えを示す場ではなく、問いを持ちながら歩む記録として、このブログを始めてみようと思います。




