霊優位の実践

「スピリチュアリズム」は1848年のフォックス家事件から地上展開が始まりました。そして初期には物質化現象をはじめとする驚異的な心霊現象が多く出現しました。

これらの心霊現象は、霊界(死後の世界)が厳然として存在すること、そして故人は霊として霊界で生き続けているという証拠を地上人に示すために、霊界側が意図的に演出したものでした。※

心霊現象は、シルバーバーチの霊訓を地上に降ろすにあたっての前座に過ぎなかったのです。

スピリチュアリズムの地上展開から既に170年以上が経過しました。
現在では、スピリチュアリズムに導かれた各自が、「霊的成長」を実践する霊的新時代に入っています。

この「霊的成長」のための人生こそが「スピリチュアルな人生」です。

霊能者を通して自分の守護霊を知ろうとしたり、パワースポットと呼ばれる場所を訪ね歩いて霊能力に目覚めようとしたりすることが、「スピリチュアルな人生」ではありません。
守護霊についてあれこれ詮索したり、安易に霊能力を獲得しようとすると、幽界下層にいる低級霊の餌食となるだけです。

一方、心の癒しを求めたり、ありのままに生きたりすることが「スピリチュアルな人生」と誤解している人も少なくないように思います。
しかし、心の癒しを優先して求めたり、ありのままの自分に満足するようでは、霊的成長は望めません。

スピリチュアルな人生とは、霊的知識を習得し、「霊的成長」を実践する自己克己の人生です。
そして、この地上世界(物質世界)で「霊的成長」を成すためには、「霊主肉従(霊優位)の努力」、「利他愛の実践」、「苦しみの甘受」を避けて通ることはできません。

とりわけ「霊主肉従(霊優位)の努力」は、地上人にとって最も困難で難しい実践内容です。
物質世界である地上世界は、あらゆる本能的欲望-物欲、性欲、金銭欲、名誉欲、権勢欲-が渦巻く世界です。
インターネットにもそのような欲望を掻き立てる情報が溢れています。

しかし、スピリチュアリズムの実践の第一歩は、この「霊主肉従(霊優位)努力」から始まります。

男性の場合、霊優位の努力で一番困難なものは性欲、次に名誉欲・権勢欲との闘いですが、私の場合は性欲以上に「物欲の抑制」が最も困難なものでした。
(性欲に目覚める以前の)子供の頃から、枢軸国に関する情報やモノを集めることが大好だった私の夢は、「将来は実家の二階全体をホビールームに改造して、趣味三昧の生活を送ること」でした。
実家の屋根裏部屋は、長年にわたって収集した膨大な量の模型や資料で足の踏み場もない状態でした。
また、最近までは海外のオークションで珍しい資料を入手し、コレクションに加えること自体を楽しんでいました。

そのため、読書会に参加を始めた当初は「これ(霊優位の努力)の実践は、物欲に関する限りは到底無理」と思っていました。
しかし、スピリチュアリズムに導かれた者として、「物質的価値観」や「物質的幸福感」に囚われるようなことがあっては霊本位の歩みは不可能です。
必要以上にモノに囚われてはいけないと熟慮の末、大部分のコレクションは4年前に売却処分しました。(特に思い入れのある数点は、手元に残していることも事実ですが・・) 

スピリチュアリズムに導かれたということは、地上人にとっては最高の恩恵であると同時に、重大な責任感が背負わされたことになります。
スピリチュアリズムの霊的真理は、実践のための指針として地上に降ろされたものです。

霊的真理を知ったということは、それを実行に移す義務も発生したということです。
「霊主肉従(霊優位)の努力」を実践していない自称スピリチュアリストやカウンセラーは、いくら外面を取り繕っても霊界の高級霊団の眼を誤魔化すことはできません。
「霊的成長」のためには、常に自らの失敗を教訓として、たゆまず目標に向かって努力することが重要です。

霊的真理の実践は、(例えば行者や苦行僧のように)物質的な所有や欲求をすべて放棄し、自らの身に苦行を課すような修行をすることではありません。そのような肉体的な苦行を続けても「価値ある人生」を送ることはできません。

価値ある人生とは、スピリチュアリズムの実践を通して霊的成長を実現する人生のことです。
「霊主肉従(霊優位)の努力」を継続し、霊的視野を身に付けることができれば、霊的楽天主義に立った前向きな人生を送ることが可能となります。
取り越し苦労や不必要な恐れ・悩みから解放され、自分に起こる全ての出来事を、霊的成長の糧であるとポジティブに受け止められるようになります。

「霊主肉従(霊優位)の努力」は「霊的修行」であり、3歩進んで2歩下がるというような遅々たる歩みです。決して、一直線に向上するものではありません。
また、地上世界(物質世界)で生活している限り、物欲の波に翻弄されることを避けることはできません。

私自身、常にこの大波に翻弄されています。そして波に溺れて敗北する度に、霊的武器で”再武装”し、また「霊的修行」に立ち戻るという日々を送っています。



霊界側が心霊現象を演出した理由については、スピリチュアリズム普及会が公開している「救済の観点から見たスピリチュアリズムの全体像」「スピリチュアリズムの問題点と今後の展開」で詳しく解説されています。