シルバーバーチが説く「真の宗教

人々が宗教に期待すること
地上世界(この世)で生活している私たちは、いつか必ず死を迎えます。
どのような人間であっても、死は確実かつ平等に訪れます。また、肉親や兄弟、友人・知人との死別ー愛別離苦ーも避けることはできません。
「人間は必ず死という宿命を背負ってこの世に誕生してきた」と理屈では分かっていても、「死」は人間にとって最大の不安であり、また恐怖でもありました。

過去から現在まで、人々は死にまつわる諸々の不安や恐怖からの救いを宗教に求めてきました。
死の問題を取り扱わない宗教は存在しないといっても過言ではありません。
また、自分や家族に降りかかる様々な不幸、悲しみ、苦しみなども宗教にすがって避けようとしてきました。
人々は宗教に対し、「好ましからざる出来事全般」からの救済を期待しているのです。
日本に信者が多い仏教も、もともとは地上世界で悟りを得て解脱すること-輪廻や煩悩からの解放―を目的とした教えでしたが、日本に伝来する頃には儒教の影響を受け、先祖供養や死後の救いを主眼とする宗教に変化してしまいました。

私はスピリチュアリズムに導かれるまでは無神論者でした。そのきっかけが、「先祖供養」だったのです。
当時中学生だった私は、法事の後に以前から疑問に思っていたことを年長者達に質問しました。
「生前お経の内容を知らなかった人が、死後にお経を上げてもらえば良いことがあるの?」
「戒名が無ければ成仏できないなら、他の宗教の人はどうなるの?」
「死後四十九日後に生まれ変わるのなら、何のために年忌法要を行うの?」
「お盆に帰ってくる先祖とは、何代前の先祖が何人帰ってくるの?」
私なりに真剣に尋ねたつもりでしたが、当然のことながら誰からも相手にされませんでした。
そればかりか、「そのような疑問を持つのは、仏さまに大変失礼なことだ。お寺の教えを守っていればそれで良いのだ。それが宗教というものだ」と強く諫められました。
この一件以来、「宗教とは、自分に都合の良い考えを押し付け、法事や葬式を取り仕切るだけの存在に過ぎない」と認識するようになりました。

その宗教ですが、令和3年12月末現在で日本には179,952の宗教法人が存在しています。 
(出典:文化庁編「宗教年鑑 令和4年版」 P33「第1表 宗教法人総括表」)      
国内のコンビニ店舗数は約57,000ですから、日本にはコンビニの3倍以上もの宗教法人がひしめいているということです。
全国的な組織をもつ教団では、その事業も(多くの企業が採用しているような)ピラミッド型組織の下で運営されており、信者からの献金で巨大で豪華な建造物を建立し、隆盛を誇っているものも少なくありません。
また、新興宗教には、教祖のカリスマ性や独自の教義(ドグマ)を強調し、少しでも信者を増やそう熱心に活動している教団も少なくありません。

しかし、巨大な建造物に一体何の意味があるのでしょうか?
難解な教義や教説で、死の不安や恐怖を取り除くことが出来るのでしょうか?
一介の地上人に過ぎない教祖に忠誠を誓ったところで、価値ある人生が送れるのでしょうか?

宗教の存在意義
宗教とは、巨大な建物を建立したり難解な教義を広めるために存在しているものではありません。
人間は死によって消滅するものではなく、死後は本来の住処である「霊界」に戻って永遠に生き続けるという事実を明らかにすること。「霊的無知」から「物質中心主義」と「利己主義」に陥り、様々な悲劇や不幸の中で苦しむ人類を救済するため、「霊的真理」を指針とした日常生活の重要性について伝道し、「霊的同胞世界」を確立を目指すこと。―これこそが本来宗教が果たすべき使命や任務のはずでした。

しかし現実はどうでしょうか?
地上の宗教には、断片的に霊的知識を含んだものもありましたが、スピリチュアリズムで示されているような明確な霊的真理や霊的事実に立脚した教えはありませんでした。
いずれの宗教も教義を広めるため熱心に布教し、儀式を行い、教義よって信者を教化し、教団の結束力を高めて勢力の拡大を図る――それが「宗教法人法」が規定する宗教団体の定義ですが――ために活動しています。
いずれの教団も、その教団の教義を信じ、それを忠実に実行することで救われると説いています。
しかし、「霊的真理」を土台にしていない宗教では、人類を救うことはできません。
シルバーバーチはそのような地上の宗教について、厳しい見解を述べています。

スピリチュアリズムで明らかにされた「救い」と「真の宗教」
本当の「救い」は、スピリチュアリズムでいう「霊的救い」以外にはありません。
それは、霊的真理に巡り合い、それを受け入れることが出来た一人ひとりが、霊的真理を実践して「霊的成長」を図ることで、はじめて実現できるものです。
従来の宗教のように、教祖の命令や教団の教義を無条件に受け入れ、それを実行すれば救いが得られるといったものではありません。
スピリチュアリズムによる救いとは、あくまで各自の自助努力によって実現していくものです。
そのため、スピリチュアリズには宗教組織も組織的な布教活動もありません。

また、宗教についてもシルバーバーチは、
「真の宗教には、儀式も祭礼も、美しい歌唱も詠唱も、きらびやかな装飾も豪華な衣服や式服も不要です。宗教とは自分を役立てることです。同胞のために自分を役立てることによって神に奉仕することです。」
(出典:スピリチュアリズム普及会 『シルバーバーチの霊訓 五 」 P79)
と述べています。
「自分を役立てること」とは「利他愛を実践すること」です。シルバーバーチは真の宗教とは、利他愛の実践であると明言しています。そして、これまでの宗教にはなかった正しい信仰の形も明らかにしてくれました。

シルバーバーチが物事の判断に際して強調しているのは、各人の理性です。スピリチュアリズム全般についても、必ず自らの理性に照らして検証し、熟考の後に実践しなさいと教えています。
「『理屈を言ってはいけません。ただ信じればよいのです』――私はそんなことは申しません。反対に『神が与えてくださったもの(知的思考力・理性)を存分に使って私を試してください。しっかり吟味してください。そして、もしも私の言うことに卑劣なこと、酷いこと、道徳に反することがあれば、どうぞ拒否してください』と申し上げます。」
(出典:スピリチュアリズム普及会「『シルバーバーチの教え(上)』 P45)

スピリチュアリズム――何と素晴らしい教えではないでしょうか。