「スピリチュアリズム内部の敵」と正しい伝道の在り方

スピリチュアリズムに対する誤った認識                                                      もう十数年も前になりますが、平成20年の春先に父とスピリチュアリズムについて話をしたことがあります。
同年の一月に母が亡くなり、気分的に落ち込んでいる父に『スピリチュアリズムによる霊的進化の道しるべ』を手渡し、第一章だけでも読んでみるように勧めました。仏教研究が趣味だった父は、80歳を過ぎても仏教辞典や仏教関係の書籍をよく読んでおり、仏教で説く「死生観」の解釈について悩んでいたようでした。また、キリスト教については「侵略の手段としての宗教」と批判していたため、スピリチュアリズムについても理解してくれるのではないかと期待していました。

スピリチュアリズムに関して、父は自分なりに調べたようでした。しかし「スピリチュアリズムは、オウム真理教を盛んに持ち上げていたような文化人類学者や、テレビで前世や守護霊について語る胡散臭い人物とつながりがある。宗教色を表に出してはいないが、スピリチュアリズムは自己開発セミナーと同様、形を変えた新興宗教の一種。そのようなものに係るのは止めておけ。」と受け入れてはもらえませんでした。               

その当時、芸能人の前世や守護霊、オーラの色などをスピリチュアリストと称する人物が言い当てるというテレビ番組の影響で、いわゆる「スピリチュアル系」がブームになっていました。また、昭和50年代にも「死後の世界」や「守護霊」などが流行った時期がありました。マスメディアを通じて喧伝される事柄に対して懐疑的であり、(昭和の時代にも)それらに関連して様々な問題が発生していたことを知っている父としては、スピリチュアリズムとは先に述べた文化人類学者や自称スピリチュアリストが主催する新興宗教の類であると誤解してしまったようでした。

結局、父のスピリチュアリズムに対する誤った認識を解くこともないまま、5年前に父は他界しました。生前の父に受け入れてもらえなかったことは心残りですが、スピリチュアリズムの霊的真理は親子兄弟や夫婦の間柄であっても、当人がそれを正しく受け入れることができる時期に来ていなければ、理解してはもらえないということを身をもって実感させられました。

霊的真理の普及を阻害するマスメディアと自称スピリチュアリスト                             その一方で、マスメディアは、いつの時代も大衆の好奇心を刺激しそうな情報を興味本位で取り上げ、意図的にブームを発生させてきました。しかし、その手段としてスピリチュアリズムを利用したことで、霊的真理に対する誤った認識を世間一般に拡散させ、スピリチュアリズムの正しい理解を妨げる要因になっています。
また、マスメディアに取り上げられることで名声を得た人物が、”スピリチュアリズムを広めるため”と称して盛んに講演会やセミナー等を開催したり、シルバーバーチの霊訓から盗用した霊言集を出版したりしています。

スピリチュアリズムの普及は、講演会の開催やマスメディアの利用によって達成できる性質のものではありません。いくら「スピリチュアリズムを広めるため講演会やマスメディアを活用している」という大義名分を掲げてはいても、実際は自分の自己顕示欲を満足させるため、それらを利用しているに過ぎません。
本物のスピリチュアリストであるならば、たとえ誰から見向きされなくても、”荒野に呼ばわる声”のように、スピリチュアリズムの「霊的真理」を手垢で汚さず、ありのまま伝える努力を継続するはずです。
スピリチュアリストやスピリチュアルカウンセラーと名乗りながら、自己流にアレンジした怪しからぬメッセージを拡散する人物はスピリチュアリズムを貶める「内部の敵」以外の何ものでもありません。

スピリチュアリズムの最高峰であるシルバーバーチの霊訓は、イエスを頂点とする霊界の億万の高級霊たちが総力を結集して地上に降ろしてくれた人類にとって「最高の霊的宝」です。                 スピリチュアリストを自認する者であれば、シルバーバーチの霊訓の内容を自己流にアレンジして作り上げた霊言集を出版したり、有料で講演会やセミナー等を開催するということが、どれほど愚かで嘆かわしい行為であるかをはっきりと認識しているはずです。自らの煩悩に負けて堕落した”自称スピリチュアリスト”の背信行為を、イエスや霊界の高級霊団がどのような想いでを見つめているのかと思うと、やるせない気持ちになってしまします。

スピリチュアリストとしての伝道の在り方                                スピリチュアリスとしての第一歩は、スピリチュアリズムの霊的真理を「頭」ではなく「理性」によって、それが真実の教えであると確信することから始まります。シルバーバーチも言っているように、「確信というのは真実と遭遇した時に湧き出る内的な悟り」です。                                また、霊的真理に巡り合い、スピリチュアリストとして今後の地上人生を歩もうと決意した時点で、当人には大きな責任が生じることになります。それは、「霊的真理で示された内容を実践して霊的成長を図る」、「霊的真理を”時期の来た人”に伝道する」ということです。                     

スピリチュアリストは、霊的真理を人々に伝道するという使命を担ってはいます。              但し、スチュアリズム運動の主役は霊界の人々であり、地上のスピリチュアリストが果たすべき役目は、脇役として「霊界の道具」となることです。霊的真理普及の主役は霊界サイドである以上、スピリチュアリストは霊界に全てを委ね、自らは道具・脇役に徹すればよいのです。そのことを忘れて独りよがりな伝道を行っていると、知らず知らずのうちに煩悩に支配され、先に述べた人物にように自己顕示欲の権化のような哀れな存在に落ちてしまします。

また、スピリチュアリズムの伝道は、「時期のきた人」のみを対象としています。                      そのため、スピリチュアリズムの伝道は、地上の宗教の伝道とは全く手法が異なります。
霊的真理の伝道は、「霊界の道具」となる決意が求められますが、既成宗教のような”伝道ノルマ”を考える必要は全くありません。霊界の高級霊団を信頼し、自分のできる範囲のことを誠心誠意行えばよいのです。また、そうすることで、一層イエスや高級霊団との繋がりを実感できるようにもなり、結果的に自分の霊的成長も図ることが可能となります。

シルバーバーチの願いに応えて                                シルバーバーチも「霊界の道具」として志願する地上人の出現を切望しています。              「霊界の道具」となる人材についてシルバーバーチは「(霊の道具として)ヘレン・ヒューズ女史のような方がもっともっと大勢いてくれれば、私たちの仕事もどんなにかラクになるのですが、残念ながらイエスが言っていた通り”招かれるものは多し、されど選ばれるものは少なし”(マタイ)です」 と述べています。
(出典:スピリチュアリズム普及会 『シルバーバーチの霊訓 九 」 P70) 

霊界の人々は地上人の過去の失敗はもとより、弱点や欠点も十分把握しています。それを承知で「霊界の道具として地上人生を捧げてほしい」切に呼びかけているのです。                                                     シルバーバーチの呼びかけにどのように応じるのか、それがスピリチュアリストとしての試金石であるといっても過言ではないでしょう。